「ポジティブな情報」は話題になりづらいのか?
ポジティブな情報はネガティブな情報に比べて、話題になりづらいのか?
結論から言うと、爆発力のある話題になりづらいです。
確かにポジティブな内容なら誰かと共有したい。このような欲があってもおかしくありません。事実、SNSを見ると「ここのパスタちょーおいしかった」というような投稿を目にすることがあり、100人以上から高評価されることも多々あります。
しかし、同じ投稿者でも「ほんとムリ…死にたい…」といったネガティブな投稿になると、普段の5~7倍の高評価やリプライ数になることがあります。いわゆるバズッた、または炎上した状態です。
現実でも同じようなことが言えるでしょう。例えば会社で「●●さんは仕事ができる」よりも「●●さんはタバコ休憩ばっかり!ムカつく!」、ご近所づきあいでも「お隣さんは良い人」よりも「ゴミを指定日に出していない!」のほうが、よりヒートアップした話題になりますよね?
このようにポジティブな情報は、ネガティブな情報に比べると話題性に劣ると言わざるを得ません。
しかしあえて、ポジティブな情報は話題になりづらいのか?という問題を考察します。
3つのポイントに注目してください。
- 汚れ(ネガティブな内容)のほうが目立つ
- お金をネガティブにとらえる
- 遺伝子が情報を選んでいる
1つずつ超かんたんに解説していきます。
汚れは気になる説
まっ白い肌にシミがあると気になるものです。それがたった1cm×1cm程度の汚れでも。
「この記事はデタラメです。よって★1とします。」
例えばあなたがネットショッピングをするとして、商品の口コミが★4や★5の良い情報ばかりだとどうでしょう?「なんか嘘っぽい」と感じて別の商品を探しませんか?
いわゆる訳あり商品は、これを逆手に取ったマーケティングだと言えます。「このクッキーは、割れ・欠けなど見た目に訳ありな商品です」と正直に言われたら、割安なのも納得できますね?
しかし「このクッキーは最高の品質で、●●賞を受賞しています」と言われても、訳あり商品ほどの話題性はありません。なぜなら商品の品質が一定以上なのは普通ですし、場合によっては「お金儲けしたい感バレバレなんだよな」のように思われるからです。
合理的に考えれば品質の良いクッキーを買うべきなのに、人はなぜ欠点のある商品を選んでしまうのでしょう?
ネガティブには”リアル感”がある
正直に言います。私はブログで商品を紹介する時、褒めちぎるのではなく欠点を指摘するようにしています。そのほうがリアル感が出るからです。
(褒ちぎる例)「この青汁はめちゃくちゃ美味しい!しかも1杯50円と安い!お買い得!だからダイエットが続けられます。」
(欠点を指摘する例)「この青汁は美味しくない。でも1杯50円と安いので、ムリなくダイエットが続けられます。」
※ちなみに嘘だけは絶対にNGです。断言します。せっかく読んでくれる人が損をする記事だけは、なにがなんでも避けるべきです。なぜなら嘘のレビューや改ざんされたデータはすぐにばれるからです。
※もしあなたが物書きをしているなら、読み手は自分よりも賢いと思って筆をとるべきです。
話を戻します。
なぜ、わざわざネガティブな情報を伝えるのでしょう?実際のところ欠点を指摘した記事のほうが、読まれる率が30%以上高くなることもありました。
答えはリアル感です。
つまり、ネガティブな情報を混ぜたほうが真実味があるんです。
すべてを褒めちぎったポジティブな文章には、わざとらしさや違和感があります。読み手はそれを敏感に感じ取り、慎重に読み進めることとなるので話題になりづらい結果になります。
あなたもネットで真面目に調べものをしている時、たくさんの絵文字(^^♪💖やキラキラした装飾✨にうんざりしながらページを閉じた経験もあるのでは?
それに対してネガティブな文章には正直なレビューっぽさ、またメリット・デメリットまで調査したという丁寧さがあるわけです。
きれいな情報はウソっぽい
さて「完璧な人より、ちょっと欠点があるほうが人間味がある」これは多くの人が納得できると思います。先に述べた通り、ネガティブな情報には真実味があるからです。
それに対して化粧品のテレビCMで見る真っ白でシミひとつない肌には、どこか作り物感があります。学生時代の彼女が「こんなに綺麗にならないのは知ってるけどね」と言いつつ化粧品を買い物かごに入れる姿は、たいへん衝撃的でした。
つまり清く、正しく、美しいばかりの情報には、驚くほどリアル感が欠けているわけです。
最後にもう一度、下の画像をご覧ください。
あなたが思わず注目してしまったのはどちらですか?
きっと、ほくろがある右の女性でしょう。
もし納得できないなら、つまりこういうことです。
ながーくて読みづらい文章でも赤い色がつけば、そこだけ注目されるものですよね?
きれいな(心理的に嘘っぽい)言葉の一点に危険色を混ぜると、このように目立つのです。
お金をネガティブにとらえる説
「あなたに10万円差しあげます」この言葉にどんな印象を受けますか?
まともな人なら、こんな言葉にダマされません。例え相手が友達でも警戒するのがふつうでしょう。
ただし、これは明らかにポジティブな話題です。なにしろ、その言葉が事実なら無償で10万円ゲットできるのですから。お金をもらって喜ばない人は少ないでしょう?
しかし私たちは「何かウラがあるんじゃないか?」と考えてしまいます。
その原因は過去に損をしたり、誰かのダマされた話を聞いた経験があるからです。
「無料」にダマされた!
20代の頃「愛車点検!7日~14日まで無料!」という一文に惹かれて車屋に行ったことがありました。結果を見れば、私は3,500円払ってハイクオリティ洗車というサービスを受けることになります。
車の点検自体はすばらしいサービスでした。オイル交換、タイヤの空気圧調整、丁寧なディーラーによる説明。帰り道でも私はリッチな気分でハンドルを握り「またお越しくださいませ!」というひと言を噛みしめては悦に入っていました。
しかし、ふと我に返ると「あれ、洗車に3,500円は高くないか?」と思うわけです。
やられた。
同じような経験は誰にでもあるでしょう。
人は得る喜びよりも、失う痛みのほうがずっと大きいのです。
無料のお金実験
金の生る木、不労収入、異性のヒモになる。誰もが人生で一度は夢見ることでしょう。もちろん私も「あー、楽に稼げないかなあ」と思ったことくらいあります。
そんな夢をかなえる実験があります。
研究者はダン・アリエリー氏。ダン氏はノースカロライナ州デューク大学の行動経済学学者で、2008年にはイグノーベル医学賞を受賞しました。
さて、実験の内容はというと、ケンブリッジのビジネス街に露店を開くというもの。露店の看板には「お金を無料で差し上げます」という大きな張り紙をつけたそうです。
つまり、タダでお金が貰える露店!
結果どうなったか?ダン氏の著書『予想どおりに不合理』によると、金額が1$の時はわずか1%の人しか露店に立ち寄らなかったとのこと。また50$に増額しても、たった19%しかお札を持って行かなかったそうです。
同書では以下のように書かれています。
大多数の人はあきらかにこれが何かのいたずらだと考えていた――いたずらかどうか尋ねる価値もないくらい。
(中略)
露店に近寄らないことに決めた理由を尋ねると、何か裏があるに違いないと思ったからだという答えが返ってきた。
『予想通りに不合理』不信の輪353p
タダでお金が手に入る。ようするに最高にポジティブな状況でも、人は疑念をぬぐえないわけです。
『予想どおりに不合理』は、こんな本▼
タダより高いものは無い
お金をもらうと誰だって嬉しい。
これは議論の余地がないほど当然のことです。
しかし、タダより高いものは無いという言葉は非常に根強いもの。無料のお金実験はそれを証明してくれました。
タダでお金を配っている店が本当にあるなら、店の情報を誰かに教えたり、むしろ独り占めして全てのお金をもらうのが合理的でしょう。なのに人はポジティブな状態(お金をもらう)よりもネガティブな状態(露店から遠ざかる)を選択するようです。
私のように「無料!」にダマされた経験がある場合は特に。
人は心理的にネガティブな情報を優先してしまうようすですね。なら、心理よりも深いレベルのDNAはどう判断するのでしょう?5ページはさらに面白くなります。
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